「うい〜、帰ったぞ〜っと」 疲労感をカートに満載したハワードが帰還する。 だが、仲間から労いの言葉がかかる中、一人だけ何も言わず筋肉質の身体を観察している男がいた。 「ハワード、傷はあるか?」 「ん、これといってねぇなぁ、今日はアサシンを二人三人ぶっ飛ばしてやっただけだからな。ひょろい奴らだぜ」 「そちらの方が助かるがな。とりあえず無事帰ってきてくれただけで十分だ」 白髪の騎士は椅子から腰を上げ、各々の部屋に通じる通路へ足を向けた。 ふと何かに気づいたように足を止めて、ハワードを振り返った。 「言ってなかったな。ご苦労様、今日はゆっくり休んでくれ」 笑顔で言い捨てると、通路の闇へと姿を消した。 ふぅ〜っと深く溜息をつくと、エレメスへボールを投げる。 「毎度こうだよな。もうちょい愛想良くしてくれてもいいと思わねぇか?」 エレメスは闇を見つめたまま返した。 「セイレン殿も忙しいのでござるよ。今もDOPの修繕に向かったのでござろう」 「…まぁよくやるよ。あいつ一人で何役やってんだろ」 「劇を演じる事は容易い事だと思うでござるよ」 またも溜息をつく。疲労のせいなのか、また別の要因なのかは分からないが。 「あいつに釣り合うなんて無理だよなぁ…」 「拙者、自分の分は弁えておる故」 からかう様な口調で同情とも取れる言葉を置き、暗殺者は修練場へと歩を進めた。 後を追おうかと思ったが、足の速いアサシンを追い掛け回したせいで足の筋肉を痛めた為に断念した。 「…風呂入るかな」 何の事はない。ただの疲労だ。ゆっくり風呂に浸かって、一晩ぐっすり眠れば全快しているだろう。 ポジティブに考え、足を踏み出した時、何やら急ぎ足でアルマが近寄ってきた。 「兄さん、はいこれ、栄養剤」 手にはスピードポーションに似た、オレンジ色の液体で満たされた瓶が握られていた。 我が妹ながら、気が利くやつだと思う。これで悪戯好きでければ言う事なしなのであるが、まぁそこは年齢相応の可愛さだろう。 「悪いな」 瓶のコルクを外し、ぐいっと一気飲みをする。 うまい訳でもないのだが、少しだけ甘いそれは疲労困憊した体に染みた。 「さてと、風呂入るってくるぜ。臭くてしょうがねぇや」 後ろ手に別れを告げ、ドカドカと大股で風呂へと巨人が行進する。 この時後ろを振り返っていれば、アルマとトリスが親指を立てて笑い合っている光景を見られただろう。 そして先程の液体について問い質しただろうが、言っても詮無いことだ。 ハワードが眼を開けた場所はベッドの上だった。 どうも湯当たりをしてしまったようだ。頬が熱い。 誰が着せたのか、しっかり寝巻きを着ていた。 「風呂って事は俺裸だったんだよな…こんな無頓着な事できんの、あいつくらいか」 つまりは下半身の、女性にとっては何よりも眼の害となる異物だ。 2Fメンバー等女子は勿論、平気なのはカヴァクくらいだろう。 エレメスという線もあるが、エレメスの腕力ではハワードは持ち上がるはずもない。 つまりはあの何に関しても感心を持たない、或いは感性が欠落していると思われる白髪の騎士しかいないのだ。 恐らくブツには眼もくれず、淡々と介抱した事だろう。最も、男が男のモノを気にしてどうするのかという話であるが。 「…ん?」 どうやら寝返りでうつ伏せになって寝ていたようだ。そこは別に不思議でも何でもない。 不思議なのは、胸のあたりに何か、ゴムボールと言うと弾力の無さすぎる柔らかい感触があるのだ。 かといって形を崩している訳でもなく、しっかり球形という事が分かる。 腕立て伏せの要領で身体を起こし、胡坐を掻いて窮屈に胸へと眼をやる。 「何じゃこりゃああああああああああああああ!!!!!!!!!」 普段WSの数ある自己補助スキルで、商人の頃から使用しているラウドボイス。 地響きが起こる程の叫びは、近くにいれば鼓膜すら破れかねない、正に爆音と呼ぶに相応しい。 それを遥かに凌駕する雄叫び(雌叫びかも知れないが)が上がる。恐らく隣の部屋の主であるセシルは睡眠を妨害される事なく、気絶してしまっただろう。 だが、ここで睡眠を取っているのはセシルだけではない。ドタドタと2Fからも6つの足音が聞こえてくる。 「な、何なんだこりゃ…」 コンコン、とドアが叩かれ、一種の、そう性職者に狙われざるをえない甘いボイスが問いかけた。 「ハ、ハワードさん!どうしたんですか!?」 「イ、イレンドか?だ、大丈夫だ、寝ぼけて大声出しちまったんだよ」 「そ、そうですか。そうならいいんですけど…」 「お、おう。悪かったな、折角寝てたのによ」 「いえ、何も無くて幸いでした」 それではこれで、と先程の轟音に対する各々の感想を述べつつ、2Fへと戻っていった。 ふーっと一息つき、改めて自分にくっ付いているソレを見た。 「なんなんだ、これはよ…」 「何なんだとは、何かあったのか」 寝言のような口調であの声が聞こえてくる。 確か以前、セイレンに悪戯しに行ったアルマとトリスが、熟睡してて何しても起きないからつまんないと言っていた。 つまり、起きるのが遅れたのだろう。休める時に休め。いつも言っている事を自分でやっているのだ。 「い、いや、枕が涎でベタベタになっちまってよ。まったくしょうがねぇよな、はは…」 すぐに墓穴を掘った事に気がつく。 「そうか。では今のうちに洗濯機に入れておけば水の節約になるな」 「え、ちょ、ま…」 言い終わる前に、オレンジの電球の光で頭髪を染めたセイレンが入ってくる。 先程までフィルターのかかったような声を出していたというのに、その表情は普段のセイレンと何ら変わらなかった。 恐らく起床後すぐに修練をしている為、身体が勘違いして起きたのだろう。 とにかくそんな事はどうでもいい。すぐにハワードは掛け布団を被る。 「…?どうしたんだ」 「いや、何もお前が持っていく事はないだろ?汚した奴が持ってった方が…」 「君は洗濯場の場所を知らないだろう」 自分の無知さを初めて悔いた。 「寝癖でもついたのか?気にするな、私などいつもこれだ」 見当違いの憶測を述べて苦笑する。 しかしそれもすぐに納まり、動かないハワードを心配し、布団に手を掛ける。 「どうしたんだ?具合でも悪くなったのか」 先程よりは遥かに近い。 「いや、何でもねぇって。ほら」 布団の中から枕だけを吐き出す。 セイレンはそれを拾い上げ、両面を確認し、訝しげな声色で尋ねる。 「これは汚れてなどいないぞ?」 「俺繊細だからさ。微妙に濡れてるだろ、汗とかで」 「…ハワード。いい加減出てきたらどうだ」 苛立った声が聞こえてくる。恐らくこれは演技だろう、こいつは滅多に怒ったりはしない。 しかし、だ。偽りの怒りが怖くないのであれば、今までこの騎士に対して畏怖を覚えた事はない。 セイレンの無言の圧力には、初めて会ったあの時から慣れていない。 ぐっと布団に力が入り、剥がされそうになる。 「あー、分かった!分かったって」 弱弱しく掛け布団をベッドの奥へ押しやり、今の貧弱な(ハワード談)体躯をセイレンの眼に晒した。 案の定、セイレンは面食らった顔で、暫く呆然とハワードの胸を見ていた。 「…なんだそれは」 「知らん」 仕方が無い。男だったのに女になっちゃいました、程度しか知らないのだ。 あの筋肉隆々で重々しい肉体はどこへやら、太ったサナギが華麗な蝶へ羽化するように、アイドル級のパーフェクトビューティーに成り果てたハワードがいた。 女装等と甘い物にはとても見えない。第一角ばった顔が女性的な曲線美を持った端正な顔立ちになったのだ。抽象的に表すのであれば、ボーイッシュでかわいいと言った所か。 そしてもう一つ主張を忘れないのが胸である。カトリーヌに肩を並べようという、ラウレル的Sランクのメロンが二つ、所狭しと並んでいた。 セイレンは眉間の皺を揉む。その悩ましい体躯に欲情する雄を押さえつけている訳ではない。 「…まぁ、いいんじゃないのか」 「…は?」 「あぁ、いや、君がいいならいいんじゃないか、という意見だ。  決して女性メンバーが増えたからという不純な理由ではない事を注釈しておくぞ」 ハワードはセイレンに掴み掛かる。その細い腕のどこにあるのか、重力の数十倍の引力がセイレンを襲った。 「いい訳ねぇだろ!女になっちまったら、気軽にお前を襲えなくなっちまうだろうが!」 「いや、私にとっては大変喜ばしい事なんだが……それより」 「ん?」 セイレンは顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。 「その…君は今、女性である事を理解しておいてもらいたい」 「?理解してるから襲えないって言ったんじゃねぇか」 「…胸だ、胸」 ようは、額が付くほどセイレンと距離を近づけすぎた為に、胸が形を歪める程くっついてしまったのだ。 ハワードは最初意味が分からなかったが、理解すると同時に笑いがこみ上げてきた。悪戯を決行する直前の、アルマの笑顔に瓜二つである。 胸を強調するように腕で持ち上げながらぐりぐりと、先程よりも強く押し付ける。 「お、おい」 「まっさかお前さんがこんな攻撃に弱いとはなぁ…」 挑発的な笑みを浮かべ、わざと、顔を逸らすセイレンの眼を見てやる。 「お前さんなら触ってもいいんだぞ〜?」 「く…そ」 さっさと寝ろ!とでも言って逃げるかと思っていた。 だが事態はまったく違う方向へと駒を進めたのだった。 ハワードは細い腕を捕まれ、ベッドへと押し倒されたのだ。あの理性の塊であったセイレンに。 冷静な眼が恐怖を煽る。 先に口火を切ったのはセイレンであった。 「そんな事をしていると、本当に襲ってしまうぞ」 よく聞けば、冷静さの中にも劣情が混じっていた。 この言葉は、演技でも脅しでも無い。本当にしてしまいそうだからやめろ、そういう警告だ。 だが、ハワードに対しては警告でも何でもなかった。6さん的に言うなら、ハワードに朗報である。 「本当…か?」 自分の涙腺が緩んでいるのが分かる。 今セイレンの瞳孔に移されているのは物欲しそうに眼を潤ませる、自分ならざる自分であろう。 しばしの時が流れた。セイレンはのろのろとハワードから身を離した。 「…少し混乱していたようだ。すまない」 その場から逃げ出すように、足早に去ろうとしていた。 すぐにハワードは身を起こし、ベッドから身を乗り出してセイレンの右手を掴む。 「やっぱ、元男じゃ駄目か…?」 「…卑怯だぞ。抑えがききそうにないからに決まっているだろう」 「別に…我慢する必要なんかないだろ?本人がいいって言ってるんだぜ」 「…勘違いしないで欲しい事が一つある」 今度は唇を奪われながら押し倒される。同時に手も指まで絡まされ、ビクッと全身が震えた。 体温が爆発的に上昇していくのが分かる。まるでセイレンの熱が乗り移ったようだった。 それが嬉しくて、指を絡め求めてくるセイレンの手を力の限り握り締めた。 「私は、欲望に身を任せている訳じゃない。それだけは、分かっておいて欲しい」 「ん…分かった」 眼の前に、切なさそうに唇をかみ締めるセイレンがいる。 これが最終確認なのだ。ここまで来ておいて何を今更とも言えるが、セイレンはそういう奴なのだ。 そういう奴だからこそ、と、ハワードは内心笑っていた。 返事なんて物は、聞かれる前から決まっている。 「何年前から一緒にいると思ってんだ。言わなくても分かってるつの」 これから始まる行為に対する一抹の不安を隠すように、少しだけ強がる笑顔をGOサインとした。 二つの影が、重なる。